東松下町は、江戸時代から商いと文化が息づいてきた下町の一角です。 周辺には剣術道場や私塾が立ち並び、幕末の志士たちも往来したと伝えられています。 すぐ近くには、江戸城の鬼門を守った歴史ある柳森神社もあり、今も街の歴史と暮らしを静かに見守っています。
東松下町の成り立ち
―― 江戸の下町文化が根づく地域 ――
東松下町の周辺は、江戸時代を通じて商人や職人の家々と武家屋敷が共存する、活気ある下町として発展してきました。 神田の台地と日本橋方面を結ぶ要所であったことから、人の往来も多く、商いと文化が交錯するエリアとして知られていました。
旧千桜小学校付近には、北辰一刀流の開祖・千葉周作が開いた剣術道場「玄武館」があり、腕を磨く若者たちで賑わいました。 その隣では、儒者・東条一堂が学問所「瑤池塾」を開き、文武両道の気風がこの地に息づいていました。
商いの下町でありながら、文人や剣客、幕臣らが行き交う多様性に富んだ地域だったことが、現在の東松下町周辺の文化的な土壌にもつながっています。
幕末の志士たちも往来した地
幕末になると、玄武館を訪れる志士の中に、坂本竜馬、清川八郎、山岡鉄舟など、後に名を残す人物がいたことが知られています。 この界隈は、彼らが剣技や学問を修め、時代の変革を志した若き日の舞台でもありました。
町のあちこちに残る歴史の痕跡は、激動の時代を生きた人々の息遣いが感じられる、貴重な地域資源となっています。
「東松下町」という町名の由来
現在の「東松下町」という名前は、明治2年、周辺のいくつかの町が統合されて誕生しました。 当時、現在の内神田付近に「松下町」という別の町名が存在していたため、区別をつける目的で「東」を冠したとされます。
この名称は、江戸から明治への移り変わりの中で形成され、今に受け継がれている歴史を表すものでもあります。
周辺の名所・柳森神社
鬼門を守った歴史ある鎮守
東松下町から徒歩すぐの隣町・神田須田町に位置する柳森神社(やなぎもりじんじゃ)は、小さな佇まいながら、室町時代から続く由緒ある神社です。 都営新宿線「岩本町駅」から徒歩約3分、JR・つくばエクスプレス「秋葉原駅」昭和通り口からも徒歩約5分と、アクセスのよい場所にあります。
太田道灌が江戸城の鬼門守護として勧請
柳森神社が創建されたのは長禄2年(1458年)。 江戸城を築いた太田道灌が、城の北東(鬼門)を守護するために、倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)を祀ったのが始まりと伝えられています。
柳森神社は、神田明神(表鬼門の守護)、妻(寿)恋神社(裏鬼門の守護)とともに「江戸城三森」の一つに数えられ、江戸の中枢を霊的に守護してきた存在です。
“おたぬきさん”として親しまれる福徳の社
柳森神社の象徴ともいえるのが「狸(たぬき)」です。 境内には狛犬の代わりに狸像が置かれ、全国の信者から奉納された大小さまざまな狸の石像・置物が「狸塚」にずらりと並びます。
「狸(たぬき)」は「他を抜く(たをぬく)」に通じることから、勝負運・出世運の象徴ともされてきました。 御祭神・倉稲魂大神の御神徳とあわせて、柳森神社は次のようなご利益で広く知られています。
- 商売繁盛
- 金運上昇
- 勝負運・出世運
- 良縁成就・子宝
都会の喧騒からすぐの場所にありながら、境内には静かな時間が流れ、東松下町周辺に暮らす人々や訪れる人々の心を穏やかにしてくれる場所となっています。
柳森神社 概要
- 創建
- 長禄2年(1458年)
- 御祭神
- 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
他七柱 - ご利益
- 商売繁盛・金運上昇・勝負運・良縁成就 ほか
アクセス
都営新宿線「岩本町駅」より徒歩約3分。
JR・つくばエクスプレス「秋葉原駅」昭和通り口より徒歩約5分。